履歴書、風呂なし、生乾き

11月 「思い出と死んだ記憶」

  すでに11月に入って今年も

あと2ヶ月

1年の計は元旦になかったけれど、なんとか元気に日々を過ごしている。

 

  2017年にはどんな思い出があるだろう。

中学時代の友人と急に付き合いが多くなった今年は、その時を懐かしむことが多かった。どうでもいいことで腹が痛くなるまで笑ったり、好きな子に告白して玉砕したり、部活で走りまくったりしたことが、彼らと会うたびに頭のなかをぐるぐる回る。

 

 

  AIに記憶をバックアップできる、

そんなSFじみた妄想をする。データローミングされ、制限なしに複製できる記憶。そのアプリは、19800円でテレビショッピングの目玉商品になっているかも。決まり文句は「あなたの輝き、色褪せない」、まるでビデオカメラのコピーのよう。

  しかし、データ化された、数値化された記憶は記憶として死んでいるのではないか。

なぜなら、記憶の価値とはその再現が不可能であることだと思うからだ。

  匂い、温度、音、心拍はもとより、特に再現不可能なのは意識ではないか。その時の心理的ストレス、肉体的疲労、恋の病。

方程式はあるのか。

 

  これは脳科学と技術が発展した末に可能なことかもしれない。頭に電極を刺しながら、孫がおじいちゃんの初恋を追体験するかも。しかし、そこにはバグがない、乱れがない、リスクがない。少年の祖父が決行した捨て身の告白。結果は最後までわからなかった。

 

 

  2017年、あっという間。思い出を整理するため、少し早い忘年会をしてみるのもいいのでは。お店はシーズンより混んでなくていいかも。ただ、年を経るごとに忘れるフリが上手くなっている気がする。