こんばんは。馬場です。
今日は朝起きてご飯を食べ、食器を洗い、テレビの記者会見を見て、趣味の津軽三味線を弾いて、論文を読んでました。充実してきた。
外には髭剃り用のジェルが尽きていたので薬局へ。これからZoomでオンライン飲み会をやって寝ます。たのしみ。
ところで
現代の「青春論」とはなんだろうか。
なんやら引退したサークルの新歓活動が大変らしい。それもそうだろう、実際に見てもらえるキャンパス内の新歓活動ができなくなっているのだから。SNSで頑張って情報を発信しているらしい。うまくいけば良いのだが。
新入生の立場からすれば大きな不安があるだろう。「友達できるだろうか」「授業はどうするのだろう」などなど。更新される情報を大学のサイトで逐一確認しなければならない。
言ってみればこの期間、大学生活をネット上で過ごすことになる。そのこと自体はしょうがない。ただ、そこにどんな「青春論」が生まれるのかが気になった。
「ネットを捨てよ、どこへ行こう」
かの寺山修司は「書を捨てよ、町へ出よう」と当時の若者をアジった。私も時代を超え、そういった寺山の「記録」にアジられた。これがとんだ逆説であることにも気づかずに。
彼がいま生きていたら何と言うだろう。
「書」はいまや「インターネット」になった。それ自体の特徴としての有用性はあるかもしれないが、知識を得るために紙媒体のメディアは絶対必要とはされない時代である。個人的には本が好きな人間だが、論文も検索して調べるのであるから欠かせないのはそういった「インターネット」というメディアだろう。
では「町」はどうか。「町」は消えたりはしない。だが現代では「書」と対比したときに当時とは違った意味を持つようになったのではないか。
寺山の言った「町」を実人生を生きる場として解釈するならば、「書を捨てよ、町へ出よう」とは「書」を読みふけってばかりでただ知識や自己の内面のみに向き合っている若者に対して、社会という他者との「対話」を通じた実人生を生きることを言ったものではないだろうか。
だとするなら。
「インターネット」という「書」が実人生に深く関わり、生活にとって無くてはならないものになった現代に「町」はあるのか。「書」も「町」も【ネット】になってしまったのではないだろうか。事実、街は歩きスマホで溢れていたし、自粛していても在宅勤務・ネット通販・様々な情報源としての役割を担っている。
さて「インターネット」を捨てたとしたら何があるのか。
どこにも何もないのか。
あえて言うなら、
「ネットを捨てよ、どこへ行こう」
…なんて。思いついたままに書いている。
そもそも「インターネット」を捨てる必要もないだろう。ちょっとモジってみたかっただけです笑
「さらば青春の光」
映画については伊東が詳しいので、そんなに突っ込んだことは言えないけど、最後に好きな「青春映画」をひとつ紹介します。
「さらば青春の光」
1960年代のイギリスを舞台に「モッズ」と「ロッカーズ」という若者文化の対立を軸に若者の疎外感を描いている。
主人公らモッズのファッションであるタイトなスーツ、モッズコート(M-51)、ミラーで飾り立てられたスクーター、音楽やドラッグなどの文化が詳細に再現されている。また敵対するロッカーズのファッションやバイク(カフェレーサー)も多数登場している。
作家のピーター・メドウズが映画にインスピレーションを得た小説「To Be Someone」を原作とする続編映画の製作が発表されている。
公開40周年となる2019年にデジタルリマスター版が公開された。
すごく好きな作品。この間TSUTAYAさんで借りて見た。
これね、作中に The Who の曲が心地よく鳴り響くンですよ!
調べてみると、1973年の The Who のロックオペラ『四重人格』を原作に1979に公開された作品みたいなんですよね。
つまり、耳も幸せな映画。
おうち時間のおともにぜひ。
それではオンラインで飲んできます笑
馬場