履歴書、風呂なし、生乾き

火曜日 「満員電車のシンパシー」

 火曜日になってしまった。逃れられない絶望、ここに顕現せり。

 

 

 

 

 月曜日は、もう諦めているというか、「しゃーないかっ!(キラッ☆)」というノリでなんとか頑張れている。以外とポジティブで、やる気にあふれていたりすることも・・・ないな。

 

 火曜日はどうだ。

月曜日の疲労が抜けきらぬまま朝を迎えてHPは70%スタート。さらに日曜日までの時間的距離を計算し追加ダメージ。満員電車は毒の沼。じわりじわりと体力を削ぐ。学校に着いたときには瀕死状態だろう。授業中、教室の机と前頭葉が何度もランデブー。なんとスパルタ。

 

 

 

 でも隣のスーツの人は・・・

 まるでドラクエの毒沼のような満員電車に揺られながら思うのは、「このスーツを着た人は毎日なんだよな」ということ。さらに彼らは給料をもらうだけの責任ある仕事をしている。そう考えると平々凡々な大学生が食らうダメージなんてものはちょっとしたもので、スニッカーズで対処できる程度なのかなとも思う。ふと頭をよぎったのは「就活」の二文字。

 

 

 

 自分は『何者』か。

 先日、朝井リョウ著『何者』(新潮文庫 2015) をゼミの資料として読んだ。「就活」を中心に物語は進行する。主人公は同じ大学の仲間と志望する企業の内定へと向かいながら、己がいったい「何者」になっていくのかを自らへ問うていく。2012年に新潮社より発行され、第148回直木賞を受賞している。

 この作品では、主人公の仲間への視線から朝井リョウの秀でた人間観察力がわかる。それは読んでいるこちらが「あっ、これは痛い」となるような人間の恥ずかしい仕草までも言語化しているのだ。また、 SNS を使用している場面が多くあり、時代の移り変わりをもいち早く観察している。日常を浸食しているネットの世界が、書体・デザイン変えられた文章によって紙という媒体の中に生み出されている。

 そして、主人公の視点から語られる文章は観察者が読者自身のように錯覚させる。自分はまだ指摘されていない。まだ大丈夫。自己の正当化を促すような、そんなトリックがあったように思う。

 これから待ち受ける「就活」がリアルに想像することができた。何度も面接を落とされる精神的ダメージ。自分の価値を見失いそうになる苦悩。内定がもらえるということの意味。否定と肯定が入り交じった世界が描き出され、清濁併せ持ったその曖昧さ、カオスが、この物語を一層とリアリティのあるものとしているのだと思った。

 自分は「何者」だろう。私のポケットには、ネットで生活する幾重ものペルソナが一枚の板の中に潜んでいる。そこには本当の自分なんていないのかもしれない。でも、よくよく考えてみる。それはリアルでも同じだろう。中学、高校、大学それぞれの友人と同じ顔して話せるだろうか。親戚、家族、恋人はどうだろうか。つまり、現実の世界の方がよっぽど人格を使い分けているのかもしれないのだ。その人格をを否定しながら、自分の一部であると肯定していく。その作業が「何者」でもない「私」を作り上げていくかもしれない。

 

 

 

 

 

 やるっきゃない。

 「今日も頑張ろ・・・!」と心の中で呟いてみる。ツイッターは閉じておく。「まじつらい」の5文字は気が滅入るから。空元気も元気のうち、ってことにしとこう。

 そうすると・・・ほら!隣のスーツの人から同じ呟きが!

 

 

 ・・・聞こえるかも!笑

 

何者 (朝井リョウ) - Wikipedia

直木三十五賞 - Wikipedia

【毒の沼地】 - ドラゴンクエスト大辞典を作ろうぜ!!第三版 Wiki*

www.snickers.jp

job.rikunabi.com